「本当は旅行じゃないんだよねぇ」
タクシーがマンションの
前から過ぎ去ると
エンジが即座に言った

マンションは
5階建てで当然エレベータがある。

だけどあの空間で2人になるのは
荷が重過ぎるので階段への道を促した
(朝は混むので、実際は
 階段を使う方が多いのだけど)


歩きながら
来阪した理由を聞く
――アルバムの宣伝活動

やっぱり仕事だったのだ。
少しの安堵を覚える
会いにきたのはそのついでということだ

過密スケジュールで
各地を回っているらしい。
今日もメンバー各々の
写真撮りとインタビューがあり
その合間を縫ってここに居ることになる
そう考えると、ついでと言っても
大変な事じゃないのだろうか。
と申し訳ない気分に包まれた

階段を登り終わり
端から2番目の
私の部屋へと進み、ドアに手をかけた

「いや、ここでいいよ別に」

そう言うと
玄関前の外廊下に座り込んでしまった
壁にもたれかかって
ちょこんとしゃがんでいる
それから横の地面を軽く叩いた
ここに座れってことだろうか?

私は吹き出してしまった
その仕草はあまりに愛嬌があって
笑いを堪えることは不可能だった。
瞳を丸くしてキョトンと
見上げているエンジを見ると
さらに受けてしまう
一気に肩の力が抜けた



明かりの乏しい蛍光灯の下で
壁に寄りかかって並ぶ
数m先の電灯は
何日か前から切れかかって
チカチカするばかりで
その役目を果していない

私達の居る部分だけは
辛うじて照らされていた

エンジは煙草に火を付けて
指先で軽く弾いた

完全に打ち解けると
また漫画の話になってしまった。
でもこれが
一番心地良い。
楽しそうな表情を覗かせ
そうそう、そうだね と
丁寧に相槌を打つのが彼らしい


あの打ち上げの夜
かかしの横に座っていると
金色の髪の
風情のある大人っぱい男性が声を掛けてきた

「俺、数ね。数字の数 よろしく。
それからぁ、君、名前何でちたっけ?」

隣りを見ると
数に肩組みされて、というより
羽交い絞めにされている
小柄の男性が居た。
酒が大量に入っているらしく、
目の下一帯を真赤にしている

口元を緩ませて手で軽く会釈した
「僕〜の名前は、えん髄ぃチョップ、だっけ?」
「・・・うーん、7点!」

酔っ払い過ぎて
何を言っているのかよく分からない。
とにかく「エンズイ」さんだと
私は思った

その後、何故か
私の横に座って
カウンターに半分寝そべりながら
色々話し掛けてくれた

多分、私の孤立しそうな雰囲気を
汲んでくれたに違いない。

雑音でよく聞こえなかったけれど
熱心に語る口調が面白くて、
ただ相槌を打っているその間に
かかしは隣りの席から居なくなっていた。


エンジは覚えてないだろう
何せものすごい泥酔状態だったから




エンジの方を見ると
ほぼ同時に、彼もこちらを向いた


余りにタイミングが合い過ぎて
会話が止まってしまった


透明なレンズごしに
黒目がちな瞳が
50cm先にあった。
わずかに
視線を下げると
紅くてふっくらとした
唇が目に入った。

少しだけ開かれたそれに
多少淫靡な印象を受けた


私がエンジの顔を
見ている
だから当然
エンジもまた、
私を見つめている

そう分かったのに
視線を逸らせないでいた

手元から煙草を落とすのが
何となく見えた


エンジの口元に
見とれている自分に気付く


再びエンジの瞳に
視点を合わせると
さっきより
少し目が細まっている。
そして彼の視点は
私がしたように
こちらの唇の辺りへと移っていた





ピピッピピッピピピ
と甲高い音にびっくりして
私は硬直を解いた。
するとエンジも
瞬時に表情を変える

ポケットから電子音が鳴り響いている


「時間」

エンジは苦笑いをして
携帯を取り出し止めた。
アラーム音だったようだ
自分の腕時計を
確かめてみると23時32分になっていた

彼は髪に手梳しを入れると
軽くジャンプして立ち上がった
(時間に正確な性質なのだろう)
あっという間に身なりを整えた

エンジの
あまりに素早い態度に
気の効いた言葉も出なくて
とにかく
時間もないので
見送ることにした
すると寒いから
早く入りなさいと
諭された


寒風のせいか分からないけれど
頬から耳の先まで痺れていた。
廊下から姿が消えるまで
手を振り続けた







つづく
もどる
































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